地元の定番イベントになるまでの道のりは?山形大花火大会の歴史

地元の定番イベントになるまでの道のりは?山形大花火大会の歴史

山形大花火大会は、2022年で「43回」を迎えます。

毎年様々なテーマに因んだ花火を打ち上げる事で、徐々に地元の定番として定着していきました。

夏の一大イベントとして、幼い頃から家族で会場に出かけていたという人も多いのではないでしょうか?

ここでは山形大花火の歴史についてまとめてみました。

 

始まりは1980年(昭和55年)

山形県の夏の風物詩・一大イベントとして多くの山形県民に親しまれている「山形大花火大会」の始まりは、1980年(昭和55年)となります。

実は既に40年を超える長い歴史を持つイベントだったりします。

1980年8月14日の夜7時半、会場となった馬見ヶ崎川で記念すべき最初の花火が打ち上げられました。

夜空に花火が咲くと、駆けつけた超満員の観客からは大きな拍手が起きたと言われています。

ここから山形大花火大会の歴史がスタートしたのです。

 

1999年(平成11年)に会場が須川河畔となりスケールアップ

山形大花火大会は、1999年(平成11年)に開催された第20回大会から、会場を須川河畔に移す事になりました。

以前よりも広々とした会場となり、周囲の安全が確保しやすくなった事から、打ち上げられる花火のスケールもパワーアップしました。

それまで1100発程度だった花火の数も、第20回大会以降は2万発を超えるようになりました。

迫力や華やかさが増した事をきっかけに、県外からも多くの人が訪れる山形県を代表するイベントとして知られるようになっていきます。

 

2013年(平成25年)にはマスコットキャラクター「はなぽん」が誕生

さらに、山形大花火大会は、2013年(平成25年)にマスコットキャラクター「はなぽん」が誕生します。

今ではお馴染みのキャラクターとして小さい子供から人気のはなぽんですが、誕生は山形大花火大会の長い歴史の中では意外と最近となります。

花火の円をモチーフに「山形を1つにしたい」というコンセプトで誕生したはなぽんは、一度見ると忘れる事はできません。

2022年コロナで疲弊した山形県民を元気にするために最新技術を多く取り入れたイベントに

毎年県内外の人で賑わっていた山形大花火大会ですが、2020年に限っては新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。

しかし、少しでも山形県民に元気を与えたい!といった想いから、馬見ヶ崎川四か所でサプライズ花火の打ち上げを決行しました。

多くの山形県民に勇気と元気を与えたと大きな話題を集めた事を覚えている人も多いのではないでしょうか?

そして、2022年は「煌星~きらぼし~」をテーマに山形市の中心街にある霞城公園を会場として、山形大花火大会が開催されました。

You Tubeを利用したライブ・アーカイブ配信やドローンによる上空からの撮影といった今までにはない試みが多く取り入れられました。

遠く離れた地域の人と一緒に、大盛りあがりの大成功を収めました。